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喫茶くしゅん

喫茶くしゅん

2024年

2024年04月21日 そっちかい。
VISAデビットのCM。
男の子が持ち金がなかったのかATMに行っている間に
VISAデビットで早々と会計を済ませた上白石萌歌さん。
男の子も遅ればせながら会計を済ませて駆けつけると
上白石さんが何やらテーブルをこぶしで叩いている。
「待たせ過ぎて怒ってるんちゃう?」と男の子が心配すると
「チゲスープからーい!」と上白石さんが叫んで
男の子が「そっちかい!」と安堵するというもの。
なかなか面白いCMだとは思うのだけど
自分が気になるのは
男の子の「そっちかい!」である。
いや、このCMに限らずここ数年
どっちかもわからない場面で
「そっちかい」を使う若者が出てきている。
自分が思う「そっちかい」は
選択肢が同一数直線上にある時に使うイメージ。
例えば、小さい子がぬいぐるみを買う場面。
パンダとヘビしか残されていない。
当然、パンダを選ぶのだろうと思っていたら
小さい子が「これ」と選んだのはヘビだった。
「そっちかい!」
これは王道の使用法である。
ところが最近、選択肢が同一数直線上にないのに
使うようになってきてはいないか。
「ねえ、ランチ何食う?牛丼?ハンバーガー?」
「……俺、仕事、辞めるわ」
「そっちかい!」みたいな。
Z世代とは最早同じ土俵にいない人達なのかもしれない。

2024年04月13日 カレーの口。
ここ数年か、ある食べ物を目にして
その食べ物を食べたくなっていると自覚する状態を
「◯◯の口(くち)になる」と表現する人が出てきて
面白いなぁと思う。
例えば、カレー屋さんの映像を見て
「今、私、カレーの口になってます」
のように使う。
ラーメンの口もあれば、まぐろ丼の口もある。
あんこの口やハーゲンダッツの口もあるかもしれない。
「◯◯の口(くち)になる」が新しいなぁと思うのは
目がハートになる、耳をダンボにして、
などと違って
自分の身体が興味の対象物そのものになっている点である。
例えば、目がハートになるは
好きな人が対象物であって
ハートは自分の心の状態を形容している。
耳をダンボにしては
噂話が対象物であって
ダンボは自分の耳(興味)の状態を形容している。
今まで、アヒルの口になるという表現があったけど
カレーの口になるは、実は結構踏み込んだ表現である。
そしてお茶目さがある。

2024年04月06日 題名。
以下、題名が素敵だなと思う小説、第2弾。
「雲の墓標」(阿川弘之)
「灰色猫のフィルム」(天埜裕文)
「伽椰子のために(かやこのために)」(李恢成)
「晩年様式集(イン・レイト・スタイル)」(大江健三郎)
「懐かしい年への手紙」(大江健三郎)
「風流深川唄」(川口松太郎)
「弔鐘はるかなり(ちょうしょうはるかなり)」(北方謙三)
「顔に降りかかる雨」(桐野夏生)
「黒パン俘虜記」(胡桃沢耕史)
「月の満ち欠け」(佐藤正午)
「やまあいの煙」(重兼芳子)
「ナラタージュ」(島本理生)
「プールサイド小景」(庄野潤三)
「照柿(てりがき)」(高村薫)
「犬婿入り」(多和田葉子)
「楽隊のうさぎ」(中沢けい)
「高円寺純情商店街」(ねじめ正一)
「海の見える理髪店」(荻原浩)
「葡萄が目にしみる」(林真理子)
「白夜行(びゃくやこう)」(東野圭吾)
「笹まくら」(丸谷才一)
「年の残り」(丸谷才一)
「菊亭八百善の人びと」(宮尾登美子)
「本所深川ふしぎ草紙」(宮部みゆき)
「骸骨ビルの庭(がいこつびるのにわ)」(宮本輝)
「泥の河」(宮本輝)
「蕨野行(わらびのこう)」(村田喜代子)
「時代屋の女房」(村松友視)
「過越しの祭」(米谷ふみ子)
「戻り川心中」(連城三紀彦)
「花埋み(はなうずみ)」(渡辺淳一)

2024年03月02日 SF。
劉慈欣の長編SF小説「三体(さんたい)」を読んだ。
全世界累計2900万部突破のベストセラーである。
今回はハヤカワ文庫SFになったので買って読んだのだが
単行本で出た時から
何かとんでもないSFが中国から出たと評判だった。
600ページ超で、これ読めるかなと思ったのだけど
読んでみると、へえ、こんな内容だったのかと
さくさく読み進めることができた。
でも、読み終わった感想としては
自分はSFって肌に合わないなと思った。
前にこれもまた評判の伴名練さんの
「なめらかな世界と、その敵」(ハヤカワ文庫JA)も
読んだのだけど感想は同じだった。
SFって肌に合わないな。
まあ、もちろん広大なSF界の
ほんの一匙をすくってなめて
言ってるだけなのだけど。
でも、少し考えるに
例えばマイクロチップを手の甲などに埋め込むことが
世界の一部では取り入れられ始めている。
それで買い物が出来たり
家や車の鍵として使えたり
将来的には人の識別、保険証代わり、パスポート代わり
膨大な個人情報をそれ1つで引き出せるようになると。
キャッシュレス化を推進する上でもいいし
何より資産を盗まれる心配もなくなるし
いいことづくめだと。
でも、果たしてそうなのだろうか。
そんなことになったら
眠らされてその間にマイクロチップを取り出されて
それこそ何にでも使われてしまうのではないだろうか。
ちなみに自分は
マイクロチップを手の甲などに埋め込むことなど
絶対に嫌だ。
自分は未来というものは
考えるより1つ斜め横に進んでいくように思われる。
つまりSFでは
トランスヒューマニズムが
そのまま進行していくような未来が描かれるけど
現実はもう少し人間くさいしたたかな方向に進化して
いくように思われるのだ。
1960年代に思い描いていた2020年代が
想像していたのと少し違うように。
そういうわけで
自分はSFって肌に合わない。

2024年03月02日 ウミカワさん。
実際にあった、会社の電話対応のお話。
「担当のウミカワは席を外しております」と女性社員が対応したところ
「そうですか。ちなみにウミカワさんって、漢字でどう書きますか?」
と相手が聞いてきたので
「あ、はい。オーシャンの海に、マウンテンの山です」と答えたら
「カ、カワはどこへ行きましたか?」
と相手は笑っていた、という話。
まず、オーシャンの海って普通言わないでしょ、ということと
何でマウンテンになったんだ、という二重の面白さがある。
確かに音声で漢字を説明するのって
たまにやることあるけど、結構難しい。
ノは野原の野、タは田んぼの田、
くらいのレベルだったらいいけど
ショウは大谷翔平の翔、とか
セイは松田聖子の聖、とか言い出したら
互いの生育歴、知識や興味等の
バックボーンが同じでないと伝わりづらい。
たとえもしそれがある程度一致したとしても
例えばあなたは「升毅(ますたけし)」という俳優の漢字を
電話口で伝えられるだろうか?
かなり難しいと思うのだけど。
解答
「升」は一升瓶(いっしょうびん)の升をマスと読んで、
「毅」は犬養毅(いぬかいつよし)のツヨシ、
または「毅然(きぜん)とした態度」のキ。
でも、一升瓶、犬養毅、毅然って
昭和がバックボーンにないと無理かもしれない。(笑)

2024年03月02日 源氏物語。
「源氏物語」って
とんでもない美意識でもって、とんでもない構成力でもって
現代においても、全く古びない仕上がりになっている。
自分なんかが知って本当にすげえなと思ったのは
その物語の骨格である。
光源氏が父親桐壺帝の若い奥さんの藤壺中宮に恋をして
その間に冷泉帝が生まれてしまう。
でも、その事実は光源氏と藤壺中宮しか知らず
表向きは桐壺帝と藤壺中宮の間に冷泉帝が生まれたことになっている。
でも、冷泉帝が育つに従ってどんどん光源氏に似てくることで
光源氏と藤壺中宮が苦しむという構図がまずある。
そして時は流れ
柏木が光源氏の若い奥さんの女三の宮に恋をして
その間に薫が生まれてしまう。
でも、その事実は柏木と女三の宮しか知らず
表向きは光源氏と女三の宮の間に薫が生まれたことになっている。
でも、薫が育つに従ってどんどん柏木に似てくることで
柏木と女三の宮も苦しむし
光源氏も自分がかつてしたことを逆にやり返される
まさに因果応報ということに気付くという恐るべき構図
大骨格を備えているということである。
紫式部はさすがに
ギリシャ悲劇の「オイディプス王」は読んでないと思うのだけど
「オイディプス王」と比べても全く引けを取らない
むしろ現実的で、物語として真に世界に誇るべきものになっている。

2024年03月02日 光る君へ。
NHKの大河ドラマ「光る君へ」
今のところ見ているのだけど
平安時代の藤原氏で最もまともな人、藤原実資(さねすけ)を
ロバートの秋山竜次さんが演じると知った時から
笑いが止まらなかった。
普段は破天荒なキャラクターを演じている秋山さん。
実際に見てみると秋山さんも
藤原実資という人をよくわかって演じているようである。
以前、ここでも書いた通り
藤原実資は曲がったことが大嫌い
派閥のパーティーでキックバックでもあろうものなら
びた一文受け取らないという人である。
現在のところ、まだ若い道長とは対立しておらず
でも、花山天皇とその周辺とはあれこれもめている。
花山天皇から側に仕えてくれと言われた時も
ご辞退申し上げます、の一点張りだった。
家に帰って藤原実資が
花山天皇関連のことをあまりにぐちぐち言うので
奥さんが呆れて
「あなた、その思っていることを日記にでも書きなさいよ」
と言う場面があったのが面白かった。
「そんなこと日記に書く価値もない」と答えていた実資だっが
それがかの「小右記」へとつながっていくことになるのである。
そして、本田奏多さん演じる花山天皇なのだけど
史実でも数多のエキセントリックなエピソードがある方である。
NHKもそれを踏まえて今回かなり攻めた描き方をしている。
歴史の時間に習う平安時代って
あまり人間の姿が見えないのだけど
実際は現代さながら、いろんな人がいて
それが元でいろんなもめ事が起きていて
嘆いたり怒ったり、いろいろあったんだと思う。
でも、時間が経てば、本当どーでもいいことに思えるのが面白い。

2024年02月17日 算数2。
小学校の算数の問題の続き。
つるとかめが合わせて100匹います。
足の数が合計274本のとき、
つるとかめはそれぞれ何匹でしょう。

この問題で言えば自分は小学校の時、
以下のようなことに引っ掛かりを感じた。
そもそも足の数を先に数える状況って
どういう状況なのだろう。
明らかにつるとかめ本体を数えた方が
早いのではないだろうか。
動きののろいかめは別として
つるは全員ほぼ静止しているのだろうか。
歩いたり動いたり、
場合によっては飛んできたり
飛んで行ったりしている鳥を数えるのって
それこそ日本野鳥の会とか呼んでこないと
厳しいのではないだろうか。
日本野鳥の会だって
数えるのは本体であって
足は数えたことはないのではないだろうか。
「つるとかめはそれぞれ何匹」とか言ってるけど
かめは匹でいいけど
つるは羽と数えるのが正しいのではないだろうか。
そういうことをいい加減にすると
ますます日本語が乱れてしまうのではないだろうか。
そもそもつるとかめが入り乱れて生息する場所など
日本にあるのだろうか。
つるは渡り鳥で冬場に寒い地域にやってくるらしいけど
そういう環境はかめにとっては寒過ぎはしないだろうか。
日本人は元々
「鶴は千年、亀は万年」とか言って
長生きの象徴のように崇めているので
つるとかめをよく引き合いに出すけど
もうそんな時代ではないのではないだろうか。
事故とかで足が1本になっているつるとかいないのだろうか。
つるというつるすべてが足が2本ありますみたいな前提は
体の不自由な人に対する配慮が足りないのではないか。
そもそも周りの友達は何でそういう疑問も持たずに
先生に言われた通り素直に問題を解いているのだろうか。
何の疑問も持たずにこんなことに慣らされてしまったら
くだらない社会の歯車になって
終いには使い捨てられるだけなのではないだろうか。
先生も社会の歯車の一員
間違ったことに児童を誘導していること自体
自分も気づいていないのではないだろうか。
「少年ドラマシリーズ」を見る限り
大人なんてたいていそういうものに違いないのだから。
などと考えてしまい、
小学生の自分は算数的思考をしようなどという意欲が
消え失せてしまうのであった。(笑)

2024年02月09日 エリオット・ネス。
自民党の上川陽子外相に対して麻生太郎元総理が
「おばさん」「そんなに美しい方とは言わないが」等の発言をして
「表現に不適切な点があったことは否めない」
と発言を撤回したことがニュースになっていた。
いろいろつっこみどころはあって
まず一度出した発言って撤回できるのだろうか
ということ。
次に「表現に不適切な点があった」と言うけど
それだと表現の仕方に問題があったというだけで
本心に変わりはないと逆に表明しているかのように聞こえる
ということ。
「表現に不適切な点があった」という表現自体が
表現に不適切な点がある、と思うのである。
さらに何で普通に「ごめんなさい」と言えないのかな
ということ。
「……と否めない」とかいうワードを選択してる時点で
反省する気はないんだな、と思ってしまう。
これが子どものいじめの事案だとしたら
そんな謝り方では、相手側は決して許してはくれないだろう。
そして第二章として
参議院本会議で野党議員から「なぜ麻生元総理に抗議しない」
年齢や容姿を揶揄する風潮を容認するのか
と逆に上川外相が責められる場面があったそうだが
上川外相からしたら
別に容認するつもりはないのだけど
とりあえずそんな発言、相手にしているヒマはない
ということなのだろうと思う。
上川外務大臣は法務大臣の時に
地下鉄サリン事件の遺族の話を
1時間という枠を延長して何時間も聴いた
という話を聞いたことがある。
たぶん時間をかけるべきことには
しっかりと時間をかけて取り組む方なのではないだろうか。
政治家ではないけど
「アンタッチャブル」という映画で好きなシーン。
アル・カポネが支配する当時のシカゴ。
アル・カポネの言うことをきかなかった店に爆弾が置かれ
店にいた小さい女の子が犠牲になる。
財務省取締局の捜査官エリオット・ネスは
最初は何をやってもうまくいかない日々。
新聞でも笑い者に書かれ落ち込んでいる。
そこへ憔悴しきった小さい女の子の母親が訪ねてくる。
「……本気なのでしょう?……本気なんですよね?」
(本気でアル・カポネを捕まえる覚悟があるんですよね?ということ)
涙を浮かべて訴えてくる母親の姿を見て
エリオット・ネスは、命を懸けてアル・カポネと闘うと決意する。
この場面はテレビ放送だとカットされることが多いのだけど
絶対に削ってはいけない場面である。
失言なんかしてるヒマがあったら
拉致被害者家族、犯罪被害者やその家族、
震災被災者のところに
自ら出向いて話を聞いてみてはどうだろうか。
オリンピックとか万博とかパーティーとか
ばっかりやる気になっている政治家も
この際、全員ご退場願いたい。
政治家というものは
常に弱い者の味方であってほしい。

2024年02月03日 算数。
小学校の算数の問題
お父さんは7時に家を出て毎分150mの速さで駅に向かいました。
ところが忘れ物に気が付いたお父さんは
家から3km行ったところで
ひき返しました。
太郎君はお父さんが家を出てから12分後に
お父さんが忘れ物をしたことに気が付いて
毎分200mの速さでお父さんを追いかけました。
太郎君は何時何分にお父さんに追いつくでしょうか。

自分は小学校の時、壊滅的に算数が出来なかったのだけど
この問題で言えば
以下のようなことに引っ掛かりを感じたからである。

そもそも太郎君はその日は小学校に行かないのだろうか。
そんなことをしていたら太郎君は遅刻するのではないだろうか。
日曜日だったらいいのだけど。
そもそも途中に信号があるかもしれないし
人間そんなに一定のスピードでは行けないのではないだろうか。
また、駅に行くと行っても
お父さんと太郎君は果たして同じ道を行くのだろうか。
お父さんは途中忘れ物に気づいて引返したそうだけど
行き違いとかにならないだろうか。
行く道と帰る道って
何故か違っていることってよくあるのではないだろうか。
そもそもお母さんがいるのであれば
子どもの太郎君より
大人のお母さんに任せた方がいいのではないか。
子どもだと悪い人に誘拐されることもあるのではないだろうか。
太郎君にしてもお母さんにしても
そもそも自転車で追いかけた方が速いのではないだろうか。
駅まで何キロあるのかわからないけど
最低3キロはあるらしいけど
さすがにお父さんは
駅までバスを利用した方がいいのではないだろうか。
片道ゆうに3キロあるのは
毎日相当に体力が奪われるのではないだろうか。
そもそも追いつくことが大切なのであって
追いつく時刻が何時何分だろうが構わないのではないだろうか。
そもそも太郎君の持っている
お父さんの忘れ物って何なのだろうか。
何を持ってそれがお父さんの忘れ物だとわかったのだろうか。
そもそもこんなことを考えること自体、
とてもくだらないのではないだろうか。
などと考えてしまい、
小学生の自分は算数的思考をしようなどという意欲が
消え失せてしまうのであった。(笑)

2024年01月14日 金の延べ棒。
昨日、ショッピングモール内を歩いていたら
アンケートをしたら金の延べ棒をあげますよ
みたいなブースがあった。
もちろん金の延べ棒大の何かであって本物ではない。
アンケートなんかするの面倒くさいからな
と横を通り抜けようとしたら
半被を着た女性が走り寄ってきて
「これ、差し上げます」
「え?アンケートしないですよ」
「いいですいいです。差し上げます」
と、金の延べ棒をいただいた。
手にとって見ると
外側は金色でよくできてはいるが
中身はティッシュペーバーである。
金の延べ棒をポケットに入れて
雪が降りしきる中、帰途についた。

2024年01月06日 16パーソナリティ診断。
「16パーソナリティ診断」というのが
流行っているというのでやってみた。
自分は16の分類の中の「仲介者(INFP)」になった。
「仲介者」
控えめ、静かそうに見えるが
心の中は情熱であふれ、生き生きとしている。
独創的かつ想像力豊かなので
色々な空想をしながら
さまざまな会話やストーリーを
作り上げることが好きなタイプ。
繊細な気質の持ち主で
音楽、芸術、自然、周りの人に対して
深く感情的に反応する。
・空想が趣味
自分の内側にある価値観や感情を
何かしらの形で表現できたときに喜びを感じる。
・秘密主義
本質的に考えや感情を
自分の中に留めておきたいという秘密主義の一面がある。
・共感力が高い
共感力が高く、傾聴が得意で
他人の感情や考えていることが
自分のことのように感じ取れる。
また、人に対して寛容である。
・自立心が強い
向上心が高く、自立心が強い。
自分の力で自由に生きていきたいという欲望がある。
過度な干渉や価値観を否定されることに苦痛を感じる。
家族や友人、恋人であっても干渉されることが苦手である。

……何かとても当たっているような気がする。
「向上心が高い」を除いては。(笑)
さらにこのタイプの著名人というので
以下の人物が挙げられていた。
シェイクスピア
トールキン
サン・テグジュペリ
……シェイクスピアって、最高じゃん。(笑)

2024年01月03日 あけましておめでとうございます。
あえてのんきな話を。

大晦日、ささやかな家の庭にいたら
隣のネコの三吉がゆっくり歩いて来て
自分がいるのに気づいて
近づいて来てひょこんと座った。
普段は素っ気なく歩いて行ってしまうことも
多いのだけど
今日は珍しく
何やらじっくりと話をしたい様子である。
よくよく見ると
三吉もずいぶん老猫になって
顔も以前に比べて
毛がバッサバッサである。
それで10分近く互いに見つめ合っていた。
「私もいつどうなるかわからないので
 今日はじっくり話をしたくなりましてね」
「考えてみれば
 お互いしぶとく生き残ってますな」
「歳を取るというのも
 決して悪いことばかりではありませんな」
「例年に比べて暖かい冬ですけど
 お体十分ご自愛くださいよ」
などと三吉の声が聞こえるようで
それはそれで素敵な時間だった。


あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

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★゜☆。\│/☆。★゜
   HAPPY
  NEW YEAR
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